こうして僕は部活を辞めた。

今週のお題「部活」

部活と言えばあまり良い思い出がないというのが正直なところである。

諦める・辞める・逃げるとは無縁なはずの部活動で僕は諦めることを学んでしまった、学ばざるを得なかった。クラブでこういう経験をする人は少ない方であると思う。

誰かの何かになれいいなと思って振り返ってみる。長いけど。

 

中学の時にサッカー部に所属していたことがある。

中高一貫で大体の人が6年続けるものの、高校に上がるときに辞めてしまった。

 

同じ学年のチームメイトにさじを投げてしまったからだ。さじを投げると言う表現は上から目線で生意気な考えではあると今となっては思うが、当時は本気で取り組んでいたからこそそういう考えに陥ってしまったのだと思う。

 

小学校の頃は市内で1位のサッカーチームに属しており、常にスタメンというわけではなかったが試合に出たりもしていた。上手い人に囲まれ、同じ年齢層ではレベルの高いサッカーをしていたのだと思う。周りの人には恵まれた環境であったと今でも懐かしく感じる。

 

しかし、受験を経験し中学に入学するとまた違う世界に入ることになる。今まではサッカーと勉強を両立(大分サッカー寄りであったと思う)し、勉強をする人とサッカーをする人・特に勉強をしない人の両方と関わりを持っていたが、入学後は勉強ばかりしてきた人とのみ(もちろん全員が全員そうではない)交わるようになる。

サッカー部に関しても同様で、大半がサッカーよりも勉強に力を注いできたというような人が集まった。当たり前である、そういう場所なのだから。

 

しかし当時の自分は未熟で、小学校時代のチームメイトのような人が一定数いるだろうと思ってしまっていた。新しいチームメイトに勝手に期待し、自分勝手ながら勝手に落胆してしまっていたのだ。全くもって迷惑な話である。

 

だがこれくらいのことではまだ純粋な頃の自分はへこたれなかった。

先輩や上手いチームメイトと共にプレーし、向上心とともに上手くなろうとしていた。

 

自分が振り返って転換期であると思うのは、自分の代が中学の最上学年となった時である。先輩の代が人数が多かったため、中2で自分たちが最上学年となった。

そこから自分たちが練習メニューを考え、スタメンとして試合にも出るのだが、チームメイトの練習態度が目に余ったのだ。

 

今までは先輩がいたからなのか、最上学年になった途端に練習時に怠けるようになり、練習もサボりがちになっていく人が多くなった。ボールを触る練習には来るのだが、体力をつけるための練習には徐々に来なくなった。もちろん試合にも負けるし、それを悔しがることもチームメイトは徐々にしなくなっていった。負けて当然と思って出る試合が楽しい訳がない。

 

最後の決め手となったのは、ある自主練の時だった。チームメイトと試合の敗因を相談し、体力不足が真っ先に課題に挙がったため、クラブがない日にも走り込みをしようと決めた。それは初めて自主練として走り込みをしたときであり、校舎の周りを走るだけの単純なものだったが、自分はチームメイトと共に決めた練習であり、みんなも勝ちたいと思ってくれているのだと嬉しくなったのを覚えている。

 

しかし、走り始めて十分もしないころ、校舎の周りを五周もしないころに徐々にチームメイトが休憩を取りだしているのが目に入った。休憩を取ること自体は悪いことでは無いし、個々人の体力は様々であるためむしろ適宜休憩は取って欲しかった。ただその休憩しているチームメイトがしゃべりはじめ、ついには自分以外が全員休んで話し始めるまでは。

 

彼らは散々おしゃべりを楽しんだのか、気が済んだようで順次帰って行った。

自分は彼らが帰った後も三十分ほど1人で走っていた。途中で顧問の先生にあったが、何を話したかあんまり覚えていない。

体力自体は自信があり、まだ走っていれたが先に心が折れた。

 

その日、まだ純粋だった自分はもうクラブに真面目に取り組まないと決めた。

試合に勝つのも、チームメイトの心を動かそうと思うのも、諦めた。

そして高校に上がるとき、クラブを辞めた。何も感じなかった。

ただ、最後の方のモチベーションとなっていた小学校の人繋がりがなくなることすらもどうでもよくなっていた。

 

こうして青春の一端を担うはずのクラブを僕は辞め、青春は過ぎていった。

クラブなしでどんな青春を送ったのか、それはまた別のお話。